弥次郎兵衛と喜多八の珍道中を描いた「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」(正編全8編)の作者、十返舎一九(1765?1831)が取材旅行で歓待を受けた名古屋の文人らにあてた書簡が見つかり、奈良大学の永井一彰教授が5日、発表した。物語の中で、焼いた石の上でこんにゃくの水気を飛ばす料理を知らない弥次喜多が、石を食べるものと思い込んだ失敗談は文人宅で仕入れたネタらしいことも分かり、作品の舞台裏を知る貴重な資料となった。
書簡は、5編が出版された文化3(1806)年の正月2日に名古屋の文人、神谷剛甫らにあてた年賀状で、縦14.5センチ、横65センチ。一九は前年、伊勢に旅行しており、途中で名古屋に立ち寄って神谷らから、もてなしを受けたことがうかがえる。
手紙では新年のあいさつに加えた追伸にあたる「尚々書」に、「ひざくり毛のうちへこんにやくのたたき石、書き入れ申し候」と記している。物語では、焼いた石のエピソードは桑名から伊勢詣でまでの途中の雲出の場面で登場しており、名古屋で仕入れた話を使ったことを示している。
膝栗毛には、挿絵に添えられた狂歌、狂詩の作者として神谷のペンネーム「椒芽亭田楽(このめていでんがく)」のほか名古屋の文人が登場する。
手紙には「御代歌不出来は、御用捨下さるべく候(そうろう)」との記述があり、5編の挿絵に剛甫ら名古屋の文人らの作として添えられた9点の狂歌が、実際は一九作だったことをうかがわせる。追伸には丁寧な謝辞もあり、一九の人柄をしのばせている。
(2006/12/05 Sankei.WEB)
時々こーゆーの見つかるケド、マダ発見されてないものっていっぱいあるんでしょうね。
書簡は、5編が出版された文化3(1806)年の正月2日に名古屋の文人、神谷剛甫らにあてた年賀状で、縦14.5センチ、横65センチ。一九は前年、伊勢に旅行しており、途中で名古屋に立ち寄って神谷らから、もてなしを受けたことがうかがえる。
手紙では新年のあいさつに加えた追伸にあたる「尚々書」に、「ひざくり毛のうちへこんにやくのたたき石、書き入れ申し候」と記している。物語では、焼いた石のエピソードは桑名から伊勢詣でまでの途中の雲出の場面で登場しており、名古屋で仕入れた話を使ったことを示している。
膝栗毛には、挿絵に添えられた狂歌、狂詩の作者として神谷のペンネーム「椒芽亭田楽(このめていでんがく)」のほか名古屋の文人が登場する。
手紙には「御代歌不出来は、御用捨下さるべく候(そうろう)」との記述があり、5編の挿絵に剛甫ら名古屋の文人らの作として添えられた9点の狂歌が、実際は一九作だったことをうかがわせる。追伸には丁寧な謝辞もあり、一九の人柄をしのばせている。
(2006/12/05 Sankei.WEB)
時々こーゆーの見つかるケド、マダ発見されてないものっていっぱいあるんでしょうね。

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