火曜日, 8月 01, 2006

 地震の初期微動をとらえ、大きな揺れが来る前に知らせる気象庁の「緊急地震速報」が1日から動き出した。相次ぐ地震や津波から、どうすれば命を救えるのか。地震国・日本の研究者らの30年来の思いが、世界に例がないシステムを実現させた。
 「地震の発生をいち早くつかみ、離れた場所に伝えるシステムをつくれないか」。茨城県つくば市にある気象庁気象研究所で、研究者らが動き出したのは80年代前半だった。78年には宮城県沖地震で28人の死者が出ていた。76年には「東海地震説」が発表され、危機感が高まっていた。
 地震が発生するとP波(秒速約7キロ)がまず届き、その後、大きな揺れをもたらすS波(同約4キロ)が来る。この時間差を生かせないか。「広範な揺れと大津波が想定される東海地震にどう備えるかというところから始まった」。当時、研究所にいた横田崇・火山課長はそう振り返る。
 83年には、日本海中部地震で秋田県の小学生らが津波の犠牲になった。93年には北海道南西沖地震で巨大津波が奥尻島を襲った。津波警報が出たのは日本海が発生から14分後、南西沖地震が5分後。避難には間に合わなかった。少しでも早い津波警報が求められた。
 正式な検討会は92年にでき、大きな前進があったのは00年に入ってから。鉄道総合技術研究所に出向していた気象庁の束田進也調査官らは、阪神大震災や鳥取県西部地震など35の地震のデータを徹底的に分析した。
 その結果、P波の最初の3秒の波形の傾きで、震源までの距離がわかることを突き止めた。距離がわかれば地震の規模(マグニチュード)も推計できる。一つの地震計でも3秒でつかめるようになった。
 通信網や地震計の整備、コンピューターの処理能力の向上が、実用化にめどをつけた。その一方で、情報をどのように国民に伝えていくかが大きな課題となった。
 助言を続けたのが、東大教授で今年4月、直腸がんで亡くなった広井脩さんだ。災害情報の専門家として、「地震から命を救える究極の手段、情報で人を救う究極の策」と語っていた。
 広井さんは治療で疲れた体を押して座長を務める検討会に出続けた。情報の出し方や受け手側の心得などを中間報告にまとめた。国民への提供が来年にずれこむと決まった時、「見届けられるかな」と気にかけていた。
 緊急地震速報は1日から鉄道や病院など41の特定利用者に提供が始まった。国民への提供について気象庁は「今年度末を目標に進めている」としている。

asahi.comより

 ありがたい研究ですよね!!頑張って欲しいです!
こーゆー方達に、研究費用って出して欲しいですよね。国も。